春眠不暁覚。
アウトプットしたい欲がジワジワと湧き出てきつつあることを自覚しながらも気づけば春。
冬は冬眠、春は寝坊。
書きたい事はたくさんあれど、暫く書いていないと何から書けばいいのか、誰かのためになることをわたしは書けないんじゃないかと気後れしてますますブログから遠のいておりました。
やらない理由を見つけるのは簡単、やらない理由考えるよりやる理由を見つけるべしとはわたしの友人の言葉ですが、しみじみいい言葉です。
なんて思いながらも惰眠を貪りブログをサボっていたわけですが、先日然る方の記事を読んで後頭部をグワンと叩かれる思いがして、目が覚めました。
継続は力なりと言いますが、続けてきた人の言葉には重みがある。
そこから頭の中でコトバが奔流となって嵐のようにぐるぐると渦を巻き、よしいっちょ書こうじゃないかと相成りました。
明けましておめでとうございます。
嵐山散歩
さて、嵐といえばまだ冬真っ只中の先日、嵐山で一泊してまいりまして。
子供の頃以来の嵐山を嵯峨野まで歩いてぶらっとお散歩してきました。
朝風呂に入り朝食を頂いてもまだまだ午前中、渡月橋も竹林の小径も観光客は少なく歩きやすい。
朝の早いうちからお散歩できるのはその地に宿泊した者ならでは。
途中、常寂光寺に立ち寄りました。
百人一首でもお馴染み、小倉山の中腹にあるお寺さんで紅葉が有名。嵯峨野が一望できます。
そこからさらにえっちらおっちら、のんびり歩いて化野念仏寺まで。
賽の河原に模して名付けられた西院の河原の無数の石仏は、この地一帯に葬られた人々のお墓。
何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだしのの山野に散乱埋没していた石仏たちを明治中期に集め、釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀したのだそう。
古来から葬送の地として人々が永遠の別離を悲しんできた所だからなのか、奥嵯峨野という土地のせいなのか、西院の河原に立つともの哀しい気持ちになりました。
「お地蔵様がたくさんいてなんだかさびしくこわい気持ちになるところ」という子供の頃の記憶が甦りました。
でも不思議と嫌な怖さじゃなくて、浄化されるような気もして、暫くぼうっと佇んでしまいました。
鯖寿司の名店、大善
さあ再び嵐山目指して歩くこと数十分、時刻はお昼時です。
お昼頃になると嵐山の目抜き通りは観光客でいっぱい、観光バスもガンガンやってきます。
目抜き通りのお店でお昼もいいけれど、せっかく嵐山に来たのだから鯖寿司の名店、大善さんへ。
京都といえば鯖街道、鯖寿司は京都名物です。
市内にも名店がいくつかありますが、ここ大善の鯖寿司も絶品。
嵐山駅よりも一駅戻った嵐電嵯峨駅からの方が近いですが、嵐山からでも桂川を眺めながら歩けばそんなに遠くありません。
分厚い昆布ははずしていただきます。
昆布の旨みが効いていて、極浅く締められた肉厚の鯖は生に近い感じで、脂もよく乗っており、絶品。
塩加減も薄めの酢加減も絶妙な塩梅です。
わたしが今まで食べた鯖寿司の中でもナンバーワンかも。
鯖の季節はそろそろ終わりますが、鯵や秋刀魚など季節の押し寿司も食べてみたい。
もうひとつ、季節の京寿司といえば蒸し寿司。
温(ぬく)寿司とも呼ばれる京都発祥(諸説あり)の冬限定の温かいちらし寿司。
わたしははじめて食べました。
蒸篭の中に敷き詰められたすし飯は蒸されてフカフカ、お酢が程よく抜けてまろやか。
その上にたっぷりと錦糸卵、きくらげと穴子、グリーンピースがちらされており、プリプリとした大きな海老がのっています。
優しくホッとする味で、まさしく冬のごちそうでした。
こちらのお店、季節の京寿司やにぎり、細巻きなどの江戸前寿司だけでなく、一品料理も豊富です。
夜に伺ってお酒を飲みつつ一品料理を食べたいなあと思いました。
嵐山に行かれた際は是非訪れて欲しいお店です。
翠嵐の朝ごはん、嵯峨豆腐 森嘉の飛龍頭
今回のお宿は翠嵐だったのですが、朝はお粥の和食をいただきました。
餡かけの朝がゆというと南禅寺の瓢亭が有名ですが、翠嵐の餡かけのお粥もとても美味しい。
心にも体にも染み込むやさしい味わいは朝にぴったりです。
お粥と一緒に供されたのが、宿から歩いて10分ほどのところにある嵯峨豆腐森嘉さんの飛龍頭(ひろうす)。がんもどきですね。
これがまた絶品でした。
お豆腐の生地の中にたっぷりの百合根と大きな銀杏がゴロンと包まれています。
わたし、そんなにがんも好きじゃないんですけどこれは全く別物でした。
翠嵐では炊き上げて提供されていますが、森嘉さんに行けばその場で揚げたてを食べることができます。
嵐山の目抜き通りからすぐなので、食べ歩きついでにこちらも是非。
ウン十年ぶりの嵐山、かつてタレントショップが乱立していてちょっとダサかった目抜き通りはスタイリッシュなKYOTOっぽくなっていたし、聞こえる言葉は日本語じゃない言語の方が多かったけど、不動の観光地らしさみたいなものは変わらないのだなぁ。
そして喧騒とは対極にある嵯峨野の静かでひなびた光景、侘び寂びの景色も変わらずとても気持ち良い、そんな嵐山散歩のお話でございました。