忙しい男性を好きになった女の子の相談をよく受けるのでそれについて書こうと思ってたんだけど、なにせ忙しくてブログを書く暇がありませんでした。
それに関連してわたしがある怒りをおぼえたので今日は怒りの感情について書こうと思います。
数日前、わたしは結構怒っていました。
自分に対してです。
ガッカリするような出来事がいくつかあって、それについてイライラして、自分以外の誰かに怒りの矛先を向けそうになっていました。
わたしは、怒ることそれ自体を悪いとは思いません。怒らなければいけない時はあります。
でも、怒りの感情を誰かに向ける前に考える必要があるとは思っています。
その怒りはどこから来るものなのか?ってことをです。
たいていの場合、怒りの前に悲しみや寂しさなどの別の感情があると思うからです。
自分以外の誰かに対して怒りをぶつける時、それは相手に対して癇癪を起こすことに近いのではないか?とわたしは考えます。
相手をコントロールしたいという欲求とも言い換えられるかと思います。
たとえば「なんで連絡くれないの?」って恋人に怒ることについて。
連絡をするかどうかは相手次第であり、わたしがどうこう言える範疇を越えています。なのに怒るのは何故かというと、自分の思い通りにならないからです。でもその奥には、「連絡がとれなくてさみしい」とか「会いたい」とか、もっと純粋な欲求があるように思います。
「わたしはこんなに我慢してるのに!」と怒るよりも、「会いたいな」とか「連絡くれたらうれしいな」って伝えるほうがいいように思います。特に男性を相手にした場合は。
ホルモンバランスのあれこれで無性にイライラする日があります。
イライラと怒るのは別物なのですが、イライラしがちな時は物事の解釈を悪く捉えがちです。そこで、「なんでそういうことを言うの?」と他人に対して怒るのも、八つ当たりです。
問題は自分の中にあるわけです。自分がした解釈を相手はそのつもりがないかもしれないのに、そのままぶつけているわけです。
人との関わりの中で「これはイヤ」と自分が思う出来事があった場合、まずはそれを淡々と「自分はこれがイヤだ」と伝えれば怒らないで済むのではないでしょうか。
自分の思い通りにならないから怒っている可能性について、怒りをぶつける前に考えるようにしています。
わたしはイライラしがちなので、イライラからの八つ当たりと本当に怒るべき場面というものを混同してしまいそうになります。
怒るべき場面というのは存在します。
尊厳を踏みにじられた時は、怒りを表明するべきだと思います。
実際、前述した「自分に怒っている」状態になる前にわたしが感じたものは「わたしを安いオンナだと見積もられた」ことに起因しています。そういうものはピシャリと怒りを表明して跳ね除けるべきだと思います。
でも、安く見られるような言動をしたのかもしれないと省みた時に、それは自分への怒りにかわりました。
また、仕事の場面では怒らないといけない場面があります。
不良サラリーマンなのでできるだけ生暖かく見守るにとどめていたのですが、言わなければいけない時はあるわけで、怒らず優しく話すのでは伝わらない時はもはや怒りBBAの演技も含めて、怒ります。
これは結構疲れます。怒りたくないのに怒るからです。
イライラは相変わらずしちゃう時は全ての事象に対してイライラしちゃうんですが、イライラは生理的な発作みたいなものなので表に出さないようにするしかありません。
怒りについてはその感情の底にはなにがあるのかを自分に問いただしてみると、怒るような出来事は激減しました。怒りの沸点はなるべく高くしておきたいと思うようになりました。
嫌なこと、こうして欲しいと思うことを主張することと怒ることは別だからです。
但し、怒りのコントロールをしすぎると怒るべき場面でも怒れなくなるので、要注意です。
というわけで、今度はこの定期的にやってくるPMSによるイライラをどうにかコントロールできないものかを考えたいなと思っています。
というようなことを数日前からちょこちょこここに書きとめていたのですが、やっぱり日記っていうのは一気に書き上げないとわたしの場合ダメみたい。活きが悪くなるっていうか、ライブ感だいじ。
でもせっかく書いたものだからアップしとこうと思います。
今は眠すぎてイライラもないし怒りもないし、お天気悪くて元気少ないくらいです。
怒りが持続しないところはわたしのイイトコロだと思ってます。
昨日は初めてネイルサロンに行ってきました。
夏休みでビーチに行くって話したらリゾーティなネイルにしてくれました。うれしい!
初対面でセンスが合う人が担当になってくれるってなかなかツイてるなって思いました。
こうやって自分がごきげんさんになれることをするのもひとつのアンガーマネジメントな気がします。
わたしの留守中東京は雨です。すまんな。