2022年陸マイルの旅

2017年から陸でマイルを貯めつつANA隠密修行をしたわたしの趣味の旅行(遠征)、買い物、グルメ、つれづれ日記。

さよなら夏の日を生で聴いたら夏とお別れするしかないじゃない。

台風が列島を縦断する中、氣志團万博に行ってきた。

氣志團万博は、氣志團が主催する音楽フェス。

わたしが特に見たかったのはユニコーン、岡村ちゃん、山下達郎さん。

フェスは好きで装備は一通り揃えてるんだけど、基本的に晴れ女なので雨装備を使ったのは06年のフジロック以来だった。

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場内は水たまりと田んぼのような泥んこだらけ。

雨足と風は強くなったり弱くなったりの繰り返しで、嵐を呼ぶ男岡村ちゃんの時はなかなかの雨だった。

風も強かったから後ろの方で聴いてると音が風に流れていく。野外フェスの宿命とはいえ、なかなか演る方にとっても過酷な環境だったと思う。

 

岡村ちゃんが終わって達郎さんを待っていたら、それまで強かった雨風が急におとなしくなった。

やっぱり達郎さんはすごいねなんて友達と冗談まじりに話しながらその時を待っていたら風もピタリと止んで、達郎さんのライブが始まった。

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ハイティーンブギのアッパーな曲から始まって、「山下達郎です!」って力強く達郎さんが叫んだ。

そこから、Sparkle。

わたしが野外で達郎さんを見るのはこれで2度目で、初めて聴いた時「外なのにおうちでレコード聴いてるみたい!」と圧倒された。昨日なんかその時よりも悪い環境で、サウンドチェックもさらっとしかしてなかったのに信じられないくらい音がどっしりしてて、こんな悪天候なのに音が流れていくこともなくて、全ての楽器の音の粒がたっていて、自分がどこに立ってるかわからなくなるくらい凄かった。

途中急に雨が激しく降ってきたのに、それでも音が全く変わらなかったんだよ?

 

2曲終わったところで、達郎さんが言った。

「台風がなんぼのもんじゃい!雨風怖くて音楽なんてやってられません」
「雨でみなさん冷えているでしょうからレパートリーかえました。バラードやめます!あったまって帰って下さい」

まぁ、泣くよね。というかもう最初っから泣きっぱなしだったんだけど。

わたしは山下達郎さんのファンじゃない。コンサートに行ったこともない。それでも、泣いた。泣いてた。

そこから硝子の少年をワンコーラス。

レジェンド級の人が、レジェンド級の音でファンのためにセットリストを変えて最高の音楽を奏でてくれてるっていうのをこうして言語化するより先に心が受け取って突き刺さったんだと思う。

 

もう、こんなにすごい人に誰も追いつけないじゃない。桁が違う。わたしの好きなユニコーンだって音作りに拘ってるし、そこそこ大御所的に扱われてるけど、いるクラスが違うって思ってしまった。

 

何故だか声をあげて泣きたくなって、嗚咽を噛み殺しながら泣きながら聴いてた。ふと隣を見ると、ユニコーンのライブでわたしが泣いててもいつも涼しい顔をして終わった後「にゃぼんさん泣いてましたね」なんて笑う友達が泣いていた。

「なんでだかわかんないけど、とにかく最初のMCから泣けてしまった」って終わった後彼女は言った。彼女にとって初めての達郎さんのライブだった。

コーラスに竹内まりやがいるサプライズとか、セトリの変更とか、そういうのも全部ひっくるめて本当に素晴らしいホンモノには理屈はいらなくて、まっすぐ心に突き刺さるんだなぁって思った。

アトムの子と恋のブギウギトレインが終わって、全員ステージの前に出てきて手をあげて挨拶して、え?もう終わり?って思ったら最後に演奏したのがさよなら夏の日だった。

 

バラードやめます!なんて宣言しといて、最後はバラード。

 「夏の終わりに、この曲を」そう言いながら始まったさよなら夏の日は優しくて切なくて、こんな素敵なさよならを聞かされたら、夏とお別れするのを嫌だ嫌だって駄々こねてたわたしでもお別れするしかないじゃない。

歌詞の一節にあるように、雨に濡れながら聴いたさよなら夏の日は胸が苦しくなるほど切なくて、愛おしかった。

 

聴きながら無心になるような、大好きな人の顔が頭に浮かぶような、そんな時間だった。

映る全てのものは急ぎ足で変わっていくから、今の気持ちを大事にしたいって思った。誰だって、わたしだっていつまで生きてるかわかんないし、今抱えてるこの気持ちだって明日どう変わってるかわかんない。

だったら今の気持ちは今のうちに伝えたいじゃない。どんな未来が訪れたとしても変わらないでいたいけれど。

 

40分間ほとんどずっと、自分でもなんでだかわかんないくらい泣きっぱなしで、聴いている時にはこんな事を明確に思っていたわけじゃないんだけれど、帰ってからそんな風に思った。

こんなスゴイもの聴いちゃったときって、ものすごい多幸感に包まれてたりするんだけど不思議とそれもなくて、ただただすごかったねって友達と話しながら帰った。夢の中で茫然と立ち尽くしてたみたいな感じだった。

 

でも帰ってから大好きな人に暑苦しいくらいわたしがどんなに大好きかを、また言葉の解像度が低いまま伝えまくってたところを見るとわたしは自分でも無自覚なところで深く深く多幸感に包まれてたのかもしれないな。

 

さよなら、夏の日。また来年。