2022年陸マイルの旅

2017年から陸でマイルを貯めつつANA隠密修行をしたわたしの趣味の旅行(遠征)、買い物、グルメ、つれづれ日記。

すばらしい日々はわたしにとってずっとトラウマだった

ユニコーンというバンドを知っていますか?

若い人はもう知らないのかな。

あ!もしかしたらアニメの宇宙兄弟のOP曲とか、ドラマ重版出来の主題歌とかでもしかしたら知ってる人もいるかもしれない。

1993年に解散して2009年に再始動した、わたしのだいすきなバンド。

解散前のユニコーンはバンドブームの中でも一風かわっていたから、わたしと同じ時代を生きてた人は名前ぐらいは知っていると思う。

ファンじゃないけど知ってるよっていう人が「名曲だよね!」って言うのが、この曲。


ユニコーン 『すばらしい日々』

 

ユニコーンっていうバンドの第一期の活動はたった6年だった。

わたしがはじめてユニコーンを知ったのは中学生で、彼らが活動していた時代をリアルタイムで追いかけられたのはそのうちのたったの半分だった。

割と厳しい家に育っていたから、当時コンサートに行くなんて許されてなくて、高校生になったらバイトして絶対にユニコーンのコンサートに行くんだ!って思ってた。

だけど、その夢は叶わなかった。

高校に入ってすぐに、「すばらしい日々」のシングルがリリースされてこのPVを見た瞬間にわたしは絶望した。

「ああ、ユニコーンはもう終わっちゃうんだ。」

『僕らは離れ離れ たまに会っても話題がない』

だなんてその当時のユニコーンそのものじゃないか。

まだクラスメイトとそこまで仲良くなってなかったし、今みたいにSNSもなかったからわたしはその確信めいた悪い予感をひとりで抱えるしかなかった。

2月にリーダーでドラムの西川くん(当時の呼び方)が辞めて、もう薄々わかってたことだったけれど、この曲とPVはまるでユニコーンのお葬式じゃないか。

そして5月にラストアルバム「SPRINGMAN」が発売された。

これがもう、全編において終わりゆく儚さとやるせなさが漂ってて、メンバーはフルメンバーじゃないし、西川くんが1番の歌詞しか書いてないままやめちゃった曲の続きを民生が書いたりしててそれを1曲にして入れてあるし、でも端的にいって名盤だった。

もしかしたらユニコーンが出したアルバムの中でいちばんヘビロテしたかもしれない。

 

でもわたしは1993年のリリースからずっと、自分の意思ですばらしい日々を聴くことだけはなかった。

すばらしい日々がリリースされて、あの葬送のPVを見て、93年9月にオールナイトニッポンで解散発表を聞いたあの日から、わたしにとってこの曲はトラウマになった。

もうユニコーンがおしまいになってしまうのはわかっていたけれど、わかってたってショックなものはショックだった。

同じクラスにユニコーンのファンの友達が2人いて、解散発表の翌朝呆然としながら学校に行って友達の顔を見た瞬間に一緒に泣いた日のことを未だに憶えてる。

それくらいわたしはユニコーンが大好きだった。

解散してからそれぞれソロ活動をしていたけど、わたしは5人が揃っているところが好きだったから、ソロを見ていると逆につらくて、ほぼその後16年の彼らの活動は追っていない。

民生がソロになって愛のためにを歌っている時にドラムが西川くんで、2人がまだ仲良しなのを嬉しく思う反面、「なんでだよ…どうして今5人じゃないんだ」って思った。

わたしはユニコーンが大好きで、でもユニコーンはわたしに大きな傷を残して、わたしはユニコーンがいなくなってしまって泣いた高校生のわたしを心の中に抱えたまま大人になり、16年が経った。

 

2009年の元旦にユニコーンの再始動が発表されて、わたしは正直かなり戸惑った。

歳とって再結成して、過去の栄光(曲)にすがった懐メロバンドに成り下がってたらどうしよう。そんなユニコーンだったら見たくないって思ったからだ。

わたしはユニコーンっていうバンドをナメすぎてた。

ユニコーンは16年経ってもユニコーンで、再始動一発目の曲なのにボーカルを取るのは民生じゃなくて阿部で、そしてすごくかっこよかった。

だからわたしはすぐにツアーのチケットを取った。

新生ユニコーンのリーダー、阿部の故郷山形から始まるツアーの初日のチケット。


ユニコーン 『ひまわり』

わたしがずっとずっと行きたくて、16年前に叶わなかった夢だったユニコーンのライブの1曲目はこの曲ではじまった。

曲の途中まで緞帳の中にいる5人のシルエットだけがうつっていて、緞帳が落ちた瞬間、わたしは声をあげて泣いた。

ずっとずっと、ユニコーンがいなくなって泣いていた高校生のわたしが心の中にいて、わたしは彼女と一緒にライブを見ている、そんな感じだった。

そして、このライブの最後の曲が「すばらしい日々」だった。

第一期ユニコーンの最後のツアーの時には既に西川くんは抜けていたから、5人で演奏する”ホンモノ”のすばらしい日々を見るのはこれがはじめてだった。

曲のアウトロでみんなが川西さんの方を向いて笑顔で演奏するさまを見てわたしは、泣くことすらできずに呆然としていた。

ライブの最中、何度も何度も「ユニコーンだ!」「やっとここに来れた」「本当に会えたんだ」って思って涙が止まらなかったけど、最後のこの曲の時は信じられない光景を目の当たりにしているようなそんな気分だった。

『すばらしい日々だ 力溢れ すべてを捨てて僕は生きてる』

力強く生き生きと演奏しているユニコーンをわたしは見た。

『君は僕を忘れるから その頃にはもうすぐに君に会いに行ける』

ずっと忘れなかった。メンバーも、きっと忘れてなかった。忘れなかったけど、当時の嫌だったおしまいにしてしまいたい重苦しい気持ちを忘れて会いに行ってくれたからこそ今があるのだな、とも思った。

大げさだけど、5人が楽しそうに嬉しそうにこの曲を演奏しているのを見て「ああ、もうしんでもいいや」って思った。

そしてわたしは自分が思っていた以上にユニコーンが好きだったことを思い知らされた。

 

イエローモンキーファンの友達が、まだモンキーが再始動していなかった頃にモンキーのことを「細胞レベルで好き」って表現してて、わたしにとってのユニコーンもそうなのだなと思う。

もうしんでもいいやと思ったし、損なわれていたわたしの中の一部分が生き返ったような感覚にもなったから。

  

5人が演奏するすばらしい日々を目の前で見て聴いたからといって、高校生のわたしが成仏したわけじゃなく、未だにこの曲は再始動して8年(もう8年!第一期の活動期間を余裕でこえてる!)経った今でも積極的に聴きたいとは思わない。

どうしてもあの頃の痛みを思い出すから。たぶんこれはずっと忘れられない。

わたしはこの曲をフラットに聴くことはできないけれど、あの頃を知っているから、絶望したからこそ、その分今5人が優しい笑顔で向き合いながら演奏している姿を見られるのがどんなに奇跡的で幸せかをかみ締めることができてる。

 

いつの間にかわたしも若いつもりが年をとった。

幸せが当たり前のものでも永遠でないこともわかるようになってしまった。

少しでもこのすばらしい日々が続くことを祈りながら、わたしはこれからも日本全国をかけめぐる。