先日、通勤に使っているターミナル駅の改札を出た時、不意に空港の匂いがした。
匂いで何かの記憶が呼び起こされる瞬間って、なんだか急に巻き戻されるような、自分が今どこに立っているかわからなくなるような不思議な感覚がある。
たとえば、真夏の雨の匂い。夕暮れに住宅街を歩いている時に漂ってくるカレーの匂い。5月のよく晴れた日の乾いた風の匂い。湿った海風の匂い。
どこかノスタルジックで、遠い昔の子供の頃の記憶がものすごい勢いで蘇る。
それは胸が締め付けられるような時もあれば、幸せな気持ちになる時もある。
わたしにとって匂いの記憶は、五感のどの記憶よりも鮮明だ。
不意に訪れて抗いようがない、巻き込まれるように記憶が蘇るその瞬間に身をゆだねるのは嫌いじゃない。
きっと誰もが同じような体験をしているのに、決して誰とも共有できないもの。
同じ景色を見たとしても、その時一緒にいた人と同じものを見ていたとは限らないけれど、それでも客観的な広い構図は共有できると思う。
意識して思い出すことができない、誰とも共有できない匂いの記憶。
ある時後輩が、「わたしの好きな人はすっごくいい匂いがするの」と言った。
わたしは彼女の好きな人を知っていたし、割とよく話していたけど一度もその人をいい匂いだと思ったことはなかった。
それを聞いてから意識的にその人が近くにいる時にいい匂いがするか確認してみたけど、やっぱり無臭だった。
確かにわたしも自分の好きな人からはいい匂いがするっていつも思ってきたな、って思った。
それで思い出したことがあった。
とても好きで、いつもいい匂いがする人がいた。香水を使っているのか訊いたら、何も使っていないと言っていて、じゃあ柔軟剤の匂いなのかなって話をした。
市販されている柔軟剤のはずなのに、彼と同じ匂いを嗅いだことはなかった。
長い間知り合いで、昔はいい匂いだと思った事がなかったのに、ある時を境にすごくいい匂いがする男の人になった。
そして、何があったわけでもないのに、ある時を境に彼は無臭になった。その時、わたしの恋心みたいな何かが終わったのを悟った。
人間も動物なんだなあって、その時思った。好きの理由なんて、もしかしたら後付けなのかもしれない。いい匂いがするってことは、もう恋をしているのかもしれないって。いい匂いがしない相手と動物は交尾しない。
だからわたしは、好きな人の匂いを嗅ぐのが好きなのかもしれない。
好きな人の匂いがついているものをプレゼントされたら、すごく嬉しい。1人の時でもその人を思い出せるから。こう書くと変態チック。でも仕方ない。ほんとうのことだから。
そしてその匂いはいつか甘酸っぱい幸せな記憶として、不意に蘇る日がくるかもしれない。
反対にわたしの匂いが誰かの記憶に残ることもあるのかな、って思った。
高校生くらいの頃はシャンプーの匂いがする女の子になりたかった。
でもわたしは風になびく髪からいい匂いがする女の子にも、バニラのにおいがするtinyな女の子にもなれなかった。
(ここまで書いていてふとこのお気に入りの記事のことを思い出したのでリンクを貼ってみた。)
わたしは香水が苦手だから、香水は滅多につけない。そのかわり、何種類かのボディクリームを季節やその日の気分や、会う人によって使い分けている。
夏は爽やかなもの、冬は甘い匂いのもの、背伸びしたい時はオトナっぽい匂いのもの。
特別な場面では、日本ではあまり流通していないボディクリームを選ぶ。
ふだんわたしのことを思い出さなくて済むように。
そしてもしその匂いがした時はわたしのことを強烈に思い出すように。
わたし自身がその匂いをまとった時に、その人との思い出を忘れないために。
わたしが旅行好きなのは、ここではないどこかの匂いの記憶が増えるからなのかな、と思った。
空港の、空気の、食べ物の匂い。嗅いだことのない匂い。
その匂いを違う場所で感じた時に、わたしは日本にいながらにして旅に出ることができるんだ。
これからもわたしは、誰かと共有することができない匂いの記憶に不意に巻き込まれて、そのたびに立ち尽くして思い出を反芻していく。