子供の頃からぽっちゃり〜太ってるの間を行き来していて歳をとってからはほぼ太ってるゾーンで安定していたわたし。
それがどういうわけだか3年ほど前に激やせして、気づいたら人生はじめての普通体型になっていた。
ダイエットもしてないのにMAXでマイナス10キロ。
7キロ痩せたあたりまで痩せたことにも気づいてなかった。
痩せた理由はなんとなく思い当たる。
自分を変えたいと思うようになった頃と一致するからだ。
昔から女としての自己評価が異常に低く、かといって努力をするわけでもなかったわたしは気づいたら他人の評価でしか自分を評価できない自尊心が肥大した、他人に依存した人間になっていた。
いまの職場に入った時に、前職と同じように普通にお化粧をして普通にスカートを穿いて仕事をしていたら*1先輩に「男漁りに来てるのか」と言われてから、化粧もスカートもやめてしまった。
お化粧をしていてもスカートを穿いていても仕事に支障はないのだから自分のスタイルを貫いて仕事をすれば良かったのに、わたしは女を捨てて男みたいに仕事をする道を選んだ。
おしゃれは好きだったから洋服は買っていたが、会社には着て行きたくなかったから休みの日に着ようと思っていたけれど、休みの日は家に引きこもっていてTシャツとハーフパンツで過ごしていたから箪笥の肥やしが増えるだけだった。
そして男になろうとしたわたしは、仕事はできるが攻撃的でイライラしがちな自分のことが好きじゃない女になり、ますます太った。
デブでブスで性格が悪いと誰よりも自分が思っているのだから、自分を認められるわけがなかった。
わたしのアイデンティティは他人からの評価……仕事で頼りになるとか、彼氏(現在の夫)がいるとか、そういったものに縋ることでできていた。
だから、気づいたらいつも彼氏(夫)の顔色を伺う女に成り果てていた。見棄てられたら、どうしていいかわかんないから。
他人が聞いたら結構ドン引きされるようなことをされても、「怒らせたわたしが悪い」と思っていた。
ある時、どうしようもなく鬱々としている時期があって、わたしは自分の高校生時代の私小説のようなものを書き始めた。
高校生のわたしも太ってはいたし、自分を安売りもしていたが、まだ自分の足で立っていた。軸が自分にあった。
無意識のうちにその頃を思い出して書き出すことで、その鬱々とした何かを晴らしたかったのだと思う。
それを書き上げた時、わたしは高校生時代の友人にどうしても会いたくなって、15年ぶりに連絡をとり、再会した。
付き合っていた時にわたしが夫を束縛したせいで、夫には友達がいなくなったと言われ続けてきた。
何度か謝罪し、結婚する時にも改めてあの時のことはほんとうに申し訳なく思っている、あなたがお友達と会いたければいつでも出かけて欲しいと伝えた。
夫は「やってしまったことはもう変わらない」と言った。
だからわたしも夫と付き合っている時からも結婚してからも、友達と遊ぶことはしなかった。実家にすら夫同伴じゃなければ帰らなかった。
一人で出掛けることに対する罪悪感が(そして実際わたしが友達と遊んだりすることを夫は嫌がった)あまりにも大きく、夫の反応が恐ろしかったからだ。
俺はあなたのせいで友達がいなくなったのに、あなたは友達と遊ぶのかと言われるから。
はたからはいつも一緒のおしどり夫婦と思われていた。わたしもそう思っていたし、自分の軸を夫に預けたその状態が幸せだと思っていた。
15年ぶりの友人と、わたし一人で会うという出来事がわたしを変えた。
わたしが自ら放棄し、見棄てた「わたし」という自我が再び芽生えたからだ。
そして、自分が他人軸で生きてきたことに気づいた。
とにかく自分を変えたいと思った。
何をどうしていいかわからなかったから、心の自立とかそういうキーワードでいろんなサイトを読んだり、コミュニティに参加したりした。
その中でわたしは、自分が女であることを思い出し、女性として自立したいと思った。
わたしは女をやめたかったわけではなかったのだ。
自分の心の声に耳をふさぎ続けた結果、女子を拗らせていた。
女子力という言葉はあまり好きではないが、女性であることを楽しみながら女子力を磨くキラキラ女子たちがどれだけ努力していたか、そしてわたしがどれだけ何もしてこなかったのかもようやくわかった。
「とにかくスカートをはきましょう」
という言葉を見て、わたしは愚直にスカートを穿き続けた。
気づけばわたしに男漁りと言った先輩もとっくにやめていて、わたしの周りにはちゃんとお化粧をしてきちんと働くかわいい女の子の後輩がいた。
わたしはその時ようやく、当時女を捨てる以外にも選択肢があったことに気づいた。
わたしも再びお化粧をしようと思って、昔から好きだった(洋服同様、コレクションとして化粧道具は持っていた)ブランドのカウンターでお化粧の仕方を1から習った。
一人で友達と会うために出掛けるようになった。
そして、 気づいたら痩せていた。
わたしの人生を生きるという当たり前のことをようやくわたしは知った。
変わろうとするわたしを、夫は心底嫌がった。憎まれたと言ってもいい。
わたしが自立しようとすればするほど、夫とわたしの関係は悪化していった。
長年染みついた夫の顔色を伺う癖は*2未だになかなか抜けないが、それでもわたしはやめなかった。
(家庭環境は劣悪になったが、)他人からの好意を素直に受け止められるようになり、イライラすることも減った。
できるだけいつも笑顔でいることを心がけた。
自分のことを好きだとは言えなくても、少なくとも嫌いではないし、満足できることも増えた。
なにより、全てを自分が選んでいるという感覚が心地よいと思えた。
「見た目を整えると心も整う」というのはほんとうだな、と思った。
何の努力もせずに痩せたが、これもひとつの成功体験なのかなと思う。
また再び太らないように、自分を(昔よりは)コントロールするように心がけ、できるだけ自分がハッピーでいられる選択をするようにした。
親交が再開した友人だけでなく、新たに友人もできた。
ところが最近、どうにもこうにもやる気が起きずにお酒を飲んでは化粧も落とさず寝るような生活を続けたところ、まんまと太った。
運動しないぶん毎日湯船につかり、風呂上りに腿上げをやるという日課をぶっちぎり、好きな洋服を選ぶのもお化粧をするのもめんどくさい。何もかも、どうでもいい。
見た目を整えるのをやめたら、心も乱れた。
太った自分を直視したくないから、ますますどうでもよくなった。
3年間毎日鏡の前で自分の裸を見てきたのだから、いまの自分がヤバいゾーンに足を踏み入れつつあることはわかっていた。
でも、体重なんてやる気になればすぐ落とせるとナメたことを思って(努力して痩せたこともないのにそう思えるまさにデブマインド!)、鏡に写った自分がいくらお腹を凹ませても凹まなくなってることにも目を瞑っていたら、他人と関わるのも面倒になってきた。
身も心も重くなって、他人に会うための服がない…ではなく他人と会う自分がない状態になったのだ。
自分に満足できていない状態は、ちっともハッピーじゃなかった。
お風呂に入らなきゃ入らなきゃと思うのに、入れない*3というひとの日記を読んだが、まさにそんな状態だった。
お風呂すら満足に入れない自分にウンザリした。
そして、心にもたっぷり脂肪をつけたおかげで寛容さを失った。イライラしやすくなったし、ちゃんとしなきゃいけないのにできない自分をダメだと思ったし*4、人と会話できなくなった。
とうとう楽しみにしていたバーベキューに遅刻した。バーベキューは楽しかったが、つまらなかった。
寒いと極端にパフォーマンスが落ちるわたしだが、暖かくなってもそんな状態で、でもとうとうある日体重計に乗ったら(今までは毎日乗っていたのに、太りだしてからはそれすらしなくなっていた)痩せてからこのかた見たこともない数字を叩き出した。
ヤバいゾーンに踏み入れつつどころじゃなく、足首までつかっていた。
このままいくと、心身ともに更に脂肪がついてまた夫しか見えない、夫が機嫌よければわたしも幸せ(な気がする)な他人軸で生きるわたしになる。
ぶくぶく太って夫を見つめて幸せそうに笑いながら内心ビクビクしている自分が思い浮かんだ。
あれはあれで、夫とふたりだけの箱庭で生きるのは幸せだった。そっちの方が楽だし。
一瞬、心が揺らいだ。
でも、わたしの中の秤は元に戻らないわたしに傾いた。
ダイエットをするというのは我慢が伴う。
わたしの辞書から削除された言葉だ。削除というより、生まれつき記載されていなかったといってもいい。
意思も弱い。飽きっぽい。
だからわたしでもできる方法を考えた。
幸いなことに、わたしは料理が好きなのでスーパー糖質制限ではなく低GIを心がけるくらいなら出来そうだと思った。
好奇心も旺盛な方だと思う。知らないことを知るのは楽しい。ジムに行ってみようと思った。行くたびに次回の予約を入れなければならず(わたしは約束を破ることが苦手)、マンツーマンで教えてくれるところなら出来そうだ。
当初はポイント目的半分なところもあったが、行ってみると想像以上に楽しかった。
身体を動かすこと、自分をある程度コントロールするようになったこと、新しい挑戦のおかげで、少しずつGYZ(ガチでヤバいゾーン)に突入していた体重が減りつつある。
すると、それに呼応するかのように気力も少しずつ戻ってきた。
湯船につかるようになり、お酒を飲まない日を作ることができ、洋服や化粧品を買うのが楽しいと思えた。人ともまた話せるようになった。
自分が気分がいいと思えることは、自分を幸せにすることだ。
わたしはいつでもハッピーでいたい。
体の脂肪が少し減ったら、心の脂肪も減った。
そんな話。